チャボの砂浴び、土のある生活

二十四節気では立春。我が家のまわりでも春の到来を告げるかのように野鳥の声が聴こえ始めています。例年では、あとひと月もすればウグイスの声が聴けるようになります。一昨日は10cm程の雪が積もりましたが、翌日にはすっかり溶けてしまい、暖かな陽光に包まれました。そんな気持ちの良いお昼前、チャボ小屋の扉を開けると外に集まって砂浴びを始めました。
チャボの砂浴び1

折り重なるように集まって、何羽いるのか分かりません。(笑)
チャボやニワトリが砂浴びをするのは、羽根に付いた寄生虫を落とすためだとか・・・それにしても気持ち良さそうです。

チャボの砂浴び3

チャボの砂浴び2

おそらく、陽光で程良く温められた温度と程良く乾いた湿度が心地よいのでしょう。うっとりしています。
そういえば、我が家の愛犬はなちゃんも地面に穴を掘って入るのが大好きです。

はなの穴掘り

こうやって地面を掘って、

はな昼寝

入って寝ます・・・zzz。

人間も砂風呂に入るととても気持ちが良いらしいですね。私は入ったことはありませんが、デトックス効果があるようなことを耳にしたことがあります。また、裸足で地面に立つことも身体に良いとか・・・。そういう機会は現代の人間生活の中では少なくなってきているように思いますが、地球の上に絶縁されない状態で立つことで、地球と同じマイナスの電位の状態に近づくことが身体に良い結果をもたらすそうです。裸足で過ごす保育園もあるようですね。これは土踏まずの形成、足裏の感覚とそれに繋がる脳を鍛えるのに効果的だとか・・・。理屈は分かりませんが、春になり地面が少し温かくなってきた頃に畑で土に触れることも、とても気持ちの良いものです。

ここで少々飛躍してしまうのですが、穴を掘って入るということから、人間もかつては竪穴式住居という住まいを築いて生活していたことを思い出しました。世界中に存在していた住居なのだそうですが、日本では後期旧石器時代から作られていたそうで、特に縄文時代には盛んに作られたとのこと。ごく簡単に言ってしまえば、地面を掘り、そこに屋根をかけた半地下の住居ということになります。

竪穴式住居外観

これは和歌山市の紀伊風土記の丘に復元されている竪穴式住居です。竪穴式住居はとても多種多様で地域や時代によって色んなタイプがありますが、大きくは伏屋式と壁立式とに分けられます。伏屋式は屋根を地面まで葺き下ろしたもの、壁立式は竪穴の壁に沿って更に壁を立ち上げたものです。紀伊風土記の丘に復元されているものは壁立式です。このタイプは地位の高い首相などの家に限られていたらしいですが、外壁が現れてきていて、その後の時代の農家などに発展していったことを容易に想像することができます。ちなみに、下の写真は伏屋式の竪穴式住居の例です。

伏屋式竪穴式住居

広島県のみよし風土記の丘に復元されているものです。これも茅葺きですが、土葺きの屋根があったりもします。想像すると縄文の頃には、まだハサミや鎌などの鉄の道具はないはずで、茅を刈って収穫したり、屋根に使った茅を刈り揃えることなども現在からは想像を超える仕事だったのではないでしょうか。その点、土をのせて屋根にしてしまうのは、その時代の構法としては想像しやすく、また延焼から防護するのにも都合が良かったのではないかと考えられます。

さて、紀伊風土記の丘の方の内部、出入口です。

竪穴式住居入口

見学に入れるように階段が設けられています。出入口からは50~60cmくらいの低いところに居住スペースの土間があります。ちなみに竪穴の深さは地域によって様々です。北に行くほど深くなる傾向があり、アイヌのトイチセ(アイヌ語で土の家)と呼ばれる住居では、人の背丈ほどの深さになることもあったようです。

土間にはかまど(竈)も設けられていました。

竪穴式住居炉廻り

羽釜はさすがにこの時代には存在しなかったはずです(笑)。掘立の又柱に梁を縄で組んでいるのが理に適った構造です。
室内で火を焚くことにより湿度を快適に保つことができますし、冬場は熱が土間に蓄熱されるので更に快適になったのではないかと想像できます。私は土間と火はセットのように感じています。古民家の生活から囲炉裏やかまど(へっつい)が消えてしまったことが土間の湿気を停滞させ、住居の寿命を縮めることに繋がったのではないかと考えてしまいます。

日本で竪穴式住居が作られ始めたと考えられている旧石器時代では、人々は台地に住むことが多かったそうです。台地は谷地形とは違い、地面もおそらく水捌けがよく半地下の住居には適していたように考えられます。しかし、稲作が広まり、人々が水を引きやすい谷に近い場所に移り住む過程で、住居形式は高床式に変化していったのではないかと考えます。ただ、高床式は冬の寒さに適していないため、北に行くほど高床式への移行は遅かったようです。

当時の人々が地面を掘り、半地下で生活することの理由として、一般的によく耳にするのは地中熱の利用です。地面は掘り進んでいくと10mくらいのところでは、1年を通して15℃くらいの温度で安定します。しかし竪穴式住居では、あまり深く掘るわけでもないので、温度は安定せずに外気温の影響を受け季節によって変動します。ただ、気温と同じように変動するのではなく、気温の変動からタイムラグを生じて変動する、その温度変化のタイムラグが心地良さに貢献していたとの考えがあるようです。しかし、3~5m程の深さならば理解はできますが、たった0.5m~1mくらいの深さだとその効果にも少々疑問が残ってしまうところです。ただ、熱容量の大きな土間、しかも地面を掘り下げることで壁も土間と一体化していた20~30平方メートル程の小さな空間で火を絶やさず使用することは、先に触れたような除湿効果もあり、蓄熱効果で室温を安定させるには有効であったのではと私自身は考えています。

しかし、ここで敢えてもう一度考えてみたい。竪穴式住居が1万年以上も建て続けられてきた理由とは一体なんだったのだろう・・・?これについての真実を探ることは、とても難しいことかもしれません。ですが、縄文の頃のゆったりと流れていた時間に思いを馳せ、自然への感謝と共に暮らしていた人々、変わらない価値観の中で幸せに暮らしていたであろう人々が竪穴式住居の土間に座り、どんな日々を送っていたのかを想像することは、色んな物事がすごいスピードで変化していく今を生きる私達の暮らしを客観的に考えさせてくれるように思ったのでした。